日比谷から丸の内エリアへ、さらなる進化を遂げた「日比谷音楽祭2026」――実行委員長・亀田誠治氏が描く「音楽の循環」と、伴走し続けるPRパートナーの絆
2019年にスタートし、今や初夏の東京の風物詩として愛されている「日比谷音楽祭」。2026年は日比谷野音の改修工事に伴い、会場を日比谷公園だけでなく東京国際フォーラムや丸の内エリアへと広げ、さらなる音楽の循環を生み出す挑戦を形にしました。

今回は、実行委員長を務める音楽プロデューサーの亀田誠治さんと、立ち上げ当初から広報パートナーとして長年伴走してきたサニーサイドアップの松瀬恵子、昨年からジョインした後藤瑞季によるクロストークをお届けします。プロジェクトの裏側にある熱い想いから、これからの未来への展望まで、じっくりとお話を伺いました。
ニューヨークでの体験が原点、人種も世代もジャンルも越えた音楽の心地よい交流
――日比谷音楽祭は今年で8年目の開催を迎えました。まずは、この巨大なプロジェクトが立ち上がった原点について、亀田さんからお聞かせいただけますか。
亀田さん:すべての原点は、10年ほど前に僕がニューヨークのセントラルパークで体験したことがはじまりです。散歩していたら、風に乗って音楽が聞こえてきて、それがとても心地よくて…音楽の聞こえるほうに行ってみると行列ができていて、おじいちゃん、おばあちゃんからベビーカーを押している若夫婦、バリバリのビジネスマンまでいろんな人が並んでいて、いろんな言葉も飛び交っているし、人種もさまざま。尋ねてみると、ニューヨークではひと夏の間、毎週のようにフリーコンサートをやっていて「お前も並べば観られるぞ」なんて言うんです。昼間の公園でピクニックをしている人を眺めながら、並んでいるときの時間もすごく豊かでした。僕が観ることができたのは、ソウルシンガーのメイヴィス・ステイプルズと弾き語りのフォークシンガーで、時代も、世代も、いろいろなものを飛び越えて、一つの空間で音楽を分かち合うことができていました。本当に、なんて豊かなんだろうと…。いつか日本でも、こんな開かれた場所を作りたいと思ったことが大きなきっかけでした。
僕が今まで出会ってきた素晴らしい才能のアーティストを、ジャンルを超えて、世代を超えて、ボーダーレスに届ける。そこで人々が感動体験をすることで、人にやさしくなったり、余裕ができたりして、音楽を介して人と人がつながっていく。そうすれば、より生きやすい世の中になると思ったんです。

――そこからすぐに実現に向けて動かれたんですね。
亀田さん:ちょうど日比谷公園が120周年、日比谷野外大音楽堂が100周年を迎える節目の記念事業として、行政側から僕に音楽イベントの立ち上げに関する打診をいただいたんです。日比谷公園と言えば、日本初の近代的洋風公園で、洋食、洋楽、洋花と3つの洋が集約されている場所。まさに日本のセントラルパークです。これは天命だと感じて、日比谷音楽祭に取り組むことにしました。ただ、日本では前例のない入場無料かつ持続可能な運営スキームを構築しなければならなかったので、関係各所との議論・調整には丸2年という歳月がかかりました。
そうしてようやく2019年に第1回の開催に漕ぎ着けることができました。公園という開かれた場所で、誰もがボーダーレスに本物の音楽に触れる。それによって感受性が磨かれ、お互いに少しずつ優しくなれる社会を作りたい。この絵は、コロナ禍を迎える前から今日に至るまで、一貫して僕がブレずに描き続けているものです。
――サニーサイドアップは立ち上げ当初からPRパートナーとして伴走しているとお聞きしました。
松瀬:まだ第1回の開催よりも前、“幻の2018年”と呼んでいる準備期間に、ご紹介をいただいたのが始まりでした。わたし自身、学生時代から亀田さんが手がけられた音楽を聴いて育った世代なので、お話をいただいたときは嬉しさとともに身が引き締まる思いでしたね。
サニーサイドアップグループには、PR・コミュニケーションの力で社会にポジティブなインパクトを与えていくという明確な理念があります。過去には、音楽やサッカーの力を活用した社会貢献活動のプロジェクトもいろいろ携わらせていただいていたため、亀田さんの目指している志には深く共感しましたし、自分にとっても新しいステップになるのではないかと考え、初年度からPRとして参加させていただいています。

――ただ、コロナ禍もあり順調な歩みではなかったかと思います。
松瀬:そうですね。2年目は新型コロナウイルスで開催中止もありましたし、その後も台風の影響があった年もありました。ただ、亀田さんや実行委員会のポジティブな思考や行動力を実感する機会でもありました。大きな不安がある中で、配信に切り替えたり、ハイブリッド開催に繋げたりと、難しい状況の中で気持ちや発想を転換して、どうしたらその中でも音楽や思いを届けられるか、それを考え抜いて実現されていらっしゃいます。勉強になりましたし、今もすごく刺激を受けている部分です。
亀田さん:1年後、2年後の予測もできないような時代のスピード感の中で、常にアップデートを重ねていきました。でも、どんな状況でも開かれた音楽祭であるために、無料開催にこだわりました。そのために、どのように開催していくのか、どう資金を集め、どんな形でメッセージを発信していくのか。バランスを取りながら、毎年工夫とアップデートを重ねています。
どんなことも、新しい人に知ってもらえる機会としてポジティブにとらえて、ポリシーを守るために変化していくことを諦めずに続けています。
――後藤さんは、1年前からジョインされたとお聞きしました。並々ならぬ想いがあったとお聞きしています。
後藤:わたしは元々、亀田さんの手掛けた音楽のファンで、最初は一人の観客として日比谷音楽祭に足を運んでいました。わたし自身、昔から好きになったアーティストの曲ばかりを聴き続けてしまう癖があったのですが、この音楽祭に足を一歩踏み入れたら、それまで知らなかった素敵な音楽やアーティストの方々と次々に出会うことができたんです。新しい音楽の魅力に触れて自分の世界が広がる、そんな「誰もに開かれた場所」としての魅力を肌で体感することができました。
それで、社内で「日比谷音楽祭に関わりたいです」と、機会があるごとに熱意をアピールし続けていました。サニーサイドアップには、やりたいと手を挙げたメンバーの想いをちゃんと形にしてくれるカルチャーがあるんです。だからこそ今、こうして大好きな音楽祭に挑戦させてもらい、大きなやりがいを持って携わらせていただけていることが本当に嬉しいです。

松瀬:実は、後藤は別の部署に所属していたのですが、日比谷音楽祭に関わりたいという熱い想いをずっと伝えてくれて。当時の上長の理解で、部署を超えてチームに加わったという経緯がありました。
亀田さん:後藤さんが新しく入ってきてくれた時、黒のスーツでビシッと決めてきてくれて。僕はそんな芸能人みたいな人じゃないから、そんなビシッとしなくて大丈夫だよ、って思ったのをよく覚えています(笑)。
PRパートナーとして同じ景色を一緒に見てきたからこそ、ホッとできる仲間になれた
――亀田さんにとって、PRパートナーとしてのサニーサイドアップはどのような存在ですか。
亀田さん:自分だけの力ではどれだけ頑張っても届かないような多くの人たちに向けて、僕たち音楽家の目線では気づけないメディアや世の中に響く切り口をしっかり生み出してくれる存在です。音楽の視点だけでは見落としがちな部分をPRのプロとしてしっかりと補ってくれますね。
それに、サニーサイドアップさんのこれまでの実績や信頼があるからこそ、いろいろなメディアや媒体とのご縁をつないでもらえていると、いつも実感しています。僕もいろいろなことをやっているので、いつもスケジュールがパンパン。そんな中でも皆さんとのお仕事はどこかホッとできる。それは、今までのいろんな景色を一緒に見てきたチーム、大切なパートナーだから。どれだけ忙しくても、サニーサイドアップさんが言ってくれるなら行かなきゃ、と思えますね。
松瀬:亀田さんは本当にお忙しい方ですし、特に音楽祭当日は会場の端から端まで駆け回っていらっしゃって。それだけお忙しいのに、わたしたちも含めたスタッフの一人一人にまで、顔を合わせて挨拶をしに来てくださる。テントに寄る時間もないくらいなのに、歩きながらテントの隙間から除きこんで挨拶してくださるんです。亀田さんの明るい声が聞こえてくると、わたしたちも士気が上がりますね。
――後藤さんは、ジョインして改めて気付いたことはありますか?
後藤:観客として外から見ていたときも素晴らしいイベントだと思っていましたが、メンバーの一員として中に入って驚いたのは、亀田さんをはじめ関わる全員が最後のギリギリの瞬間まで、新情報の出し方やアーティストの表現など、あらゆることにおいてみんなにとって最善の形は何かということを徹底的にディスカッションして形にしていた点です。誰も妥協せずに純粋な熱量で向き合っている姿を間近で見て、改めてこのプロジェクトの凄さを実感しました。
亀田さん:きっと皆さんが想像している以上にギリギリです(笑)。いろいろな発表もプレスリリースを配信する数十分前まで、みんなであれこれ相談をしていましたから。それに、単なる「情報解禁」としてマニュアル通りに処理されるのではなく、メディアの方々が日比谷音楽祭の理念を自分の言葉で語ってくれているのを見ると、今回も本当に胸が熱くなりました。

――日比谷音楽祭の運営を支える仕組みにクラウドファンディングがありますが、この仕組みの意義について、亀田さんはどのようなお考えをお持ちでしょうか。
亀田さん:日比谷音楽祭を運営していくにあたって、現在は企業の協賛金とクラウドファンディングの2本柱しかありません。クラウドファンディングは、単に資金を募っているというよりも、仲間を集めてコミュニティを作っている感覚です。いただいた支援の使い道や、そのお金が社会に対してどう循環し、どういう意味を持つのか、そして参加してくださった一般の方々の気持ちの動きをどこに向けるかがすごく大切で。
ただお金を集めるのではなく、みんなで支え合うことで、みんなと一緒に文化を作っていく仲間を募っている。まだ道半ばですけれど、クラウドファンディングという仕組みによって、それが見事に達成されていると感じています。
――PRチームとしても、そのクラウドファンディングへの貢献や広報という部分は意識されているのでしょうか。
後藤:わたしたちはPR事務局としてメディアの方々に情報発信を行い、記事としてご紹介いただくことを働きかけているのですが、やはり資金調達が絡むクラウドファンディングの取り組みまで、全ての媒体がスムーズに紹介してくださるわけではありません。
だからこそ、単なる資金集めではなく「みんなの支援で一緒に文化を作っていくんだ」という音楽祭の意義や主旨にメディアの方々自身にも共感していただけるよう、特に丁寧なコミュニケーションを重ねることを意識していました。実際に、クラウドファンディングの主旨も含めて広く掲載していただき、支援サイトのコメント欄に「メディアの紹介を見ました、応援しています」といった温かい応援メッセージが集まっているのを目にしたときは、自分たちが心がけて発信していたことがちゃんと形になって広がっているのを実感でき、大きなやりがいにもなりました。

――お金の話に対してどうしても一歩引いてしまいがちな中で、メディア側も日比谷音楽祭の想いに共感し、心理的ハードルを越えて掲載に協力してくれている。まさにそこも気持ちを一つにできている部分ですね。
後藤:まさにそうです。毎年、こうして温かく記事としてご紹介いただけるのは、決して当たり前のことではありません。立ち上げ当初からサニーサイドアップの先輩方が、メディアの方々と真摯に向き合い、丁寧なコミュニケーションを重ねてきてくださったからこそ、その信頼関係が今も脈々と繋がって、深い共感を生んでいるんだと実感しています。情報の発信側・受信側という垣根を越えて、メディアの皆さんさえも一人のファンにしてしまう。そんな日比谷音楽祭の理念の素晴らしさを、内側にいるメンバーとして改めて強く感じます。
松瀬:PR担当者としては、音楽祭の素晴らしさや亀田さんの想いに共感し応援の輪が広がっていくために、メディアのお力を借りて伝えていくことが使命だと思っています。その力を感じた例のひとつが、クラウドファンディング支援者の方のコメントで「亀田さんが出演された番組を見て、その想いに共感したので支援しました」というメッセージを目にしたときです。プロモートで獲得した記事がひとつのきっかけになって、具体的な支援につながっているのを見られるのは、嬉しいことだなと実感しました。
亀田さん:本当に事後のPRまでしっかり取り組んでくださっていて。週末に僕らが開催して、週明けの朝のワイドショーとかでもものすごく大きく取り上げてくださる。それによって、テレビを見た方が「日比谷公園でフリーコンサートをやっているのか。支援してみよう」という気持ちになり、たくさんの種がまかれているわけです。テレビのニュースで「日比谷公園でフリーコンサート」みたいに、ざっくり一言でまとめられているのを見て、最初は「一言だとそうなるのか…」と思ったりもしましたが(笑)、でもそれが世の中に効く。PRの力、本当にきっかけ作りの魔法というか、情報が行き交うハブというか、触媒というか、本当に感謝しています。

日比谷公園の改修工事――ピンチではなく、新しい人にも知ってもらえるチャンス
――2026年は、これまで象徴であったといえる日比谷公園大音楽堂(野音)の改修工事という大きな転換期を迎え、日比谷公園だけでなく、東京国際フォーラム ホールAや丸の内へとエリアが広がりました。この新しい景色への挑戦をどのような想いで臨まれたのか改めて教えてください。
亀田さん:エリアが広がったのは、日比谷公園の改修工事が主な理由ではありますが、これはピンチではなく日比谷音楽祭がまたトランスフォームする大きなチャンスと捉えていました。丸の内エリア、そして東京国際フォーラムという場所とガッチリと手を組んで、エリアを広げていく。街に日比谷音楽祭が染み出していくような、そんな開催方法ができるのではないかと考えていました。でも、フリーで誰もが参加できるという部分は死守ですね。そこだけは譲りませんでした。そこさえブレなければ、あとはどんな形になってもいいじゃないか、と思っていましたから。
松瀬:メイン会場が東京国際フォーラム・ホールAになるので、日比谷音楽祭が今年は開催されないと思ってしまう方や、公園ではライブが行われないと思ってしまう方がいるかもしれない、という課題がありました。でも実は、公園では芝生広場がメインとなって、ピクニックをしながらや、公園を通りかかった人たちにも豪華なアーティストたちのライブやダンスパフォーマンスを楽しんでもらえるし、国際フォーラムでは、屋内ならではの安定してスペックの高い環境でのライブが楽しめるという状況でした。音楽祭は変わらず開催されるし、それぞれの会場で音楽の楽しみ方があるんだ、ということをメディアの皆さんや情報を受け取ってくださる方々に、ビジュアルや言葉でどう伝えていくのか、PRの仕掛け方がすごく試されていましたね。
日比谷エリアだけでなく、丸の内という大きな街全体を巻き込んで、街のカルチャーとして日比谷音楽祭が染み出していく瞬間に立ち会えたことには、すごくワクワクしました。わたしたちにとっても、大きなアップデートの機会になりましたね。
後藤:単純に拠点が増えたので、現場の動きとしては大変な場面もありましたが、その分チームが一丸となるやりがいも大きかったです。そして、街の中でふとした瞬間に“音楽に出合える場所”が広がるということでもありました。わたし自身が過去音楽との偶然の出合いで感動したように、今度はそのきっかけを自分が仕掛ける側として携わることができたのが本当に嬉しかったです。

――ニューヨークのサマーステージも、セントラルパーク以外の場所でさまざまな催しやステージがあるので、2026年の日比谷音楽祭もまさにそんな街へ染み出す形へと進化を遂げましたね。この大きな節目を終えた今、最後に、日比谷音楽祭の「この先の10年」をどのように描いていらっしゃるのか、お聞かせください。
亀田さん:日比谷音楽祭は、僕という1人の音楽家が立ち上げのきっかけとなり、僕の熱量をエネルギーにすることで走ってきた部分が最初はありました。でも、この先を考えたときに、例え僕がいなくなっても“音楽祭が回り続ける仕組み”を作っていくことが、今の僕の最大の仕事だと思っています。持続可能なものじゃなければ、意味がないですから。だからこそ、後藤さんみたいな若い世代に加わってもらったり、“自分たちのもの”としてこの音楽祭を面白がって引っ張ってくれたりすることが重要。次の世代へバトンをどう渡していくのかが、この先の10年の課題ですね。
松瀬:その“音楽祭が回り続ける仕組み”を、実務として組織の形に構築していくのが、わたしたちの役割だと考えています。これまでは亀田さんという“太陽”があって、そこにみんながついていく形でした。これから先は、サニーサイドアップとしてもチーム全体で日比谷音楽祭の遺伝子を受け継いで、クオリティを維持できる体制を作っていかなければと強く感じています。だからこそ、若い世代の視点や力が必要。次の世代の観客や支援者を巻き込んでいきたいし、それができる環境を作っていくことがこれからのわたしたちの使命ですね。
後藤:亀田さんや松瀬さんの言葉を聞いていると、自分たちがこれからの未来を作っていくんだという実感が湧いてきて、ものすごくワクワクしています。わたしはチームの一員としてジョインしたばかりですが、10年後、20年後に向けて、日比谷音楽祭という場所を守り、さらに新しくしていくのは、わたしたちの若い世代の役目ですね。わたしが一人の観客として日比谷音楽祭で新しい音楽に出会って感銘を受けたように、今度はわたしが仕掛ける側として、次の10年で1人でも多くの人にそういう偶然の出会いを届けていきたいです。
亀田さん:究極を言えば、10年、20年後に「日比谷音楽祭って、生まれたときから当たり前にあるよね」っていうような、ごくあたりまえのお祭りや文化のような存在になっていけたら。それが、今の僕が描いている景色です。
変化を恐れずポリシーを守る亀田さんと、その想いを世へ届けるために熱意を注ぐサニーサイドアップのPRチーム。3人の根底にあるのは「音楽で社会をポジティブに変える」という共通の志です。
たくさんの人々や街全体を巻き込み、さらなる進化を遂げた日比谷音楽祭。10年、20年先へとバトンを繋ぐ新しい挑戦は、まだ始まったばかりです。ぜひ、これからも進化を続ける「フリーでボーダーレスな音楽祭」のこれからの歩みに注目し、みんなで一緒に応援してみてはいかがでしょうか。
サニーサイドアップでは、音楽イベントをはじめさまざまな商品・サービスのPRコミュニケーションを手がけています。
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