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神宮球場に行きたくて会社を選んだ!?生粋の野球ファンメンバーが観た五十嵐亮太選手の引退

五十嵐選手①

私たちサニーサイドアップがオフィスを構える千駄ヶ谷近辺には、東京オリンピックの開会式が開催される国立競技場や、ラグビーの聖地・秩父宮ラグビー場、そして東京ヤクルトスワローズや東都大学のホームスタジアムである神宮球場があります。昨年SSUPRで携わり大きな話題になったMGC(マラソン・グランド・チャンピオンシップ)も外苑の銀杏並木がフィニッシュ地点に設定されたり、秋になると多くの一般ランナーが明治神宮外苑の周りをランニングしていたりと、都心の中で最もスポーツを身近に感じることのできるエリアです。

筆者は、幼少からラグビーをやっていたこともあり、秩父宮ラグビー場を身近に感じてきましたし、特に小学生からは東京ヤクルトスワローズを20年来応援していて、所謂熱心な“燕党”というやつなので、この外苑エリアには非常に“縁”を感じてきました。

入社のきっかけの一つに、“仕事終わりにすぐ神宮球場に行ける”という理由もあったくらいです。

この先週末はスワローズが毎年企画している神宮球場を“緑(エン)”に染める、「2020 TOKYO 燕プロジェクト」(以下、燕プロ)が開催され、無料ユニフォームが配られるなど、神宮球場が真緑に染められました。なんだかんだ運にも恵まれて、3年連続で参戦してきました!

2020 TOKYO 燕プロジェクト
https://www.yakult-swallows.co.jp/pages/info/special/tokyo_en_project2020/

ただ、今年の「燕プロ」は、SSUにとっても、私にとっても特別な日となりました。

五十嵐亮太選手の引退

この日、サニーサイドアップ所属の五十嵐亮太選手が23年間の現役生活に幕をおろしました。

五十嵐選手は、千葉の名門・敬愛高校から18歳でスワローズに入団し、2004年当時日本人最速タイ記録となる158km/hの豪速球を武器に活躍。甘いマスクで、“球界のキムタク”とも言われ、多くのファンを虜にしてきました。その後は、メジャーリーグへの挑戦を経て、力のある剛球に新たな変化球も身につけ、ソフトバンクホークスでは日本一の立役者にもなり、昨年10年ぶりに古巣・スワローズに帰ってきたのです。

■五十嵐亮太
https://www.ssu.co.jp/service/ssupeople/ryota_igarashi/

五十嵐亮太選手②

スワローズやソフトバンクのファンだけでなく、メディアなどを通じ多くのプロ野球ファンに愛された五十嵐選手は、自らの現役キャリアの最終地点として古巣ヤクルト&神宮を選んだのかもしれません。

緑の燕プロユニフォームで埋め尽くされた中には、五十嵐選手の背番号「53」が多く目立ち、新型コロナウィルスの影響で50%の稼働しかできないにもかかわらず、球場の一体感はファンとして鳥肌モノでした。

試合は、対戦相手の中日ドラゴンズがリードし終盤までなかなかスワローズファンにとっては歯がゆい展開でしたが、6回から五十嵐選手がブルペンで投球練習を開始すると、球場のボルテージは高まっていきます。

そして、8回現役時代に五十嵐選手と一緒に勝利の方程式を担った高津監督から「ピッチャー、五十嵐」のコールがあり、同じく「ロケットボーイズ」として活躍した石井投手コーチや、同い年で共に活躍してきた石川選手、解説席から現役時代に共に戦ってきた古田敦也さんや宮本慎也さんら先輩、そしてスーパールーキー奥川選手らが見守る中、最後のマウンドに立った五十嵐選手。ファンとしては、たまらない瞬間でした。

最後に投じた1球はやはり自らの代名詞であるストレート。味方のファインプレーでサードゴロに仕留め、現役最後のアウトを勝ち取り、大きな拍手の中マウンドを降りました。

試合は負けてしまいましたが、終了後の引退セレモニーでは、五十嵐選手らしいチームメートとファンへのメッセージが贈られ、最後は神宮球場右翼席フェンスに登る、レジェンドたちしかできない往年のパフォーマンスでファンたちへの感謝をのべ、23年間の現役生活に幕を閉じました!

五十嵐亮太選手③

いつまでもチャレンジを忘れず、まっすぐに挑戦し続ける五十嵐選手の姿を直接観ることができたことにも、この会社に入った“縁”を感じました。

五十嵐選手、23年間お疲れ様でした!これからも五十嵐選手らしい活躍を楽しみにしています!!


 

この記事を書いた人:

株式会社サニーサイドアップ 3局スポーツ 清水裕太郎

新卒でサニーサイドアップに入社。7年目。20年来のスワローズファン。
シーズン中の夕方になると、試合結果が気になって業務効率が落ちます。

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