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「天国で君に逢えたら」プロウィンドサーファー・飯島夏樹の声を世に広めた”PR”のチカラとは…


本記事は、当社グループの代表取締役社長・次原悦子が社内向け朝礼にてスピーチした内容を再構成して制作しています。世界的プロウィンドサーファー・飯島夏樹の半生と、その裏側にあったPRの逸話とは。ぜひご覧ください。

飯島夏樹プロフィール:https://www.ssu.co.jp/service/ssupeople/natsuki_iijima/


2月28日。これまでの17年間、毎年欠かさず私と松本さん(編集部注:株式会社サニーサイドアップ取締役)はある場所に行きます。東京湾の海、太平洋です。なぜなら、17年前に亡くなった私達の仲間、飯島夏樹の命日だからです。

ハワイの海に散骨をしたのでお墓は海、東京湾ならハワイの海に続いているだろうということで、毎年海で献花をしています。この数年でベイエリアは様変わりして、晴海の岸壁では献花が出来ないので、最近は豊洲の公園にいい場所をみつけました。

夏樹は、サニーサイドアップが初めてマネジメントを手掛けたトライアスロン選手・宮塚英也選手から紹介されたウィンドサーファーでした。はじめての出会いは今から30年前、大昔です(笑)。

真っ黒に日焼けした大柄な男。夏樹はプロのウインドサーファーとして、8年間ワールドカップに出場。海の業界では人気者でした。

彼は現役を引退した後、グアムで「サニーサイドアップグアム」というセーリングセンターを作ってマリンスポーツの仕事をしていました。子供四人にも恵まれ、絵に描いたような幸せな生活を送っていました。

その後の話は、知っている人も多いと思いますが、彼は35歳の時に重い「がん」を患いました。治療のために日本に家族で帰国して、私達も仲間の闘病をサポートしていました。

彼は、国立がんセンターに入院しながら、そこでの経験を原稿用紙に殴り書きし、小説のようなものを書き出しました。よく私の部屋のオレンジ色のソファーに寝転びながら、小説の話をしてくれました。

「この小説を出版したい」ーそれがいつのまにか彼の夢になりました。

もう先は長くなく、小説を書き終えるのも、出版するのももう無理だろうというのは彼以外のみんなの認識でしたが、「出版できるかなあ?えっちゃん頼む」とお願いされては、動かない訳にはいきませんでした。

汚い字で書かれた原稿用紙をもって、新潮社のお偉い方に直談判しにいきました。

泣きながら頭を下げた私に、びっくりしながら、当時の新潮の編集長だったIさんが

「わかった。夏までにだな。どうにかする」と言ってくれました。

嬉しくてすぐに松本さんに電話して飛び跳ねて喜び、病院の夏樹を呼び出し報告したら、

電話口で大きな声で「やった~」って叫んでいたことを思い出します。

ただ、新潮社との次の打ち合わせで、私は大きな勘違いを知ったのです。

Iさんは、「たった一冊夏樹の為に本を作ってあげよう」という想い。つまり、とてもじゃないけど原稿も、出版に値するものではない、とにかく時間がない。だから、病床の夏樹にたった一冊届けてあげるためのサンプルの本を手作りで作ってあげようという話だったのです。

みんなを喜ばせてしまった。今さらそんな事言えない。夏樹は騙せても、「そりゃないよ~」という気持ち。落胆とはまさにこの事でした。その日、松本さんにも言えませんでした。

ですが、数日後に奇跡はおきました。いつもは強気で嫌な女の私が、涙して頭をさげた時の気迫に負けて、私が帰った後に、文芸編集者のKさんが原稿をしっかり読んでくれたのです。「これはちゃんと手を入れたら設定もストーリーも面白い。是非やりましょう」と社内にかけあってくれて、リアルに出版が出来るようになったのです。

長い話を短く言えば、その殴り書きの原稿は無事に書籍になり、その様子をまとめたドキュメンタリー番組は大反響を呼び、累計80万部を超える大ベストセラーに。そして大沢たかおさん出演で夏樹の人生は映画化されました。

ちなみに桑田佳祐さんが歌った主題歌「風の詩を聴かせて」は、夏樹の朋友だったウインドサーファー仲間のHさんというプロデューサーが、ダメもとで桑田さんに直談判して、桑田さんが心よくひきうけてくれました。

朝から、こんな話はゴメンだ~!と思う人もいるかもしれないけど。

まあ、何を言いたいかきちんとまとまってはいませんが、とにかくどうにかしたい!という一心で動いていたら、それが人を巻き込み、また人を巻き込み、本になったり、番組になったり、歌になったり、映画になったりと、どんどんと話が膨らんでいったということです。

夏樹の四人の子供達はそれぞれ成長して、警察官になったりエンジニアになったり、みんな立派な大人になりました。途方に暮れていた飯島家でしたが、あの小説が子供達四人の教育費になったことはホントに嬉しい事でした。

これがPRの成功例なのかはわかりませんが、小さなアクションが、必ず誰かの心やその後の行動を作っているんだなと私はいつも思っています。今月も一つ一つの仕事に向き合っていきましょう。

【読み重ねられた社内閲覧用の書籍。今でも誰でも読めるように社内の本棚に並べられています】

 

 

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