【震災から7年】石巻の廃校から生まれた「モリウミアス」を巣立った子どもたちが大人になる頃には
■年々減少する“ある報道”
こんにちは。広報グループのOです。
早速ですが、こちらのグラフをご覧ください。
このグラフは、“ある報道”について2016年から現在(※)までの
TV露出件数を表しています。※本ブログ執筆時の2017年3月8日(木)時点
“ある報道”とは、2011年3月11日(金)に起きた、東日本大震災のこと。
一昨年3月のTV媒体での月間報道件数は600件以上であるのに対し、
昨年3月は400件にも満たない程度。
手元には2016年からのデータしかありませんでしたが、
2011年当初から報道件数が年々減少していることは容易に想像できます。
震災から7年―。
報道だけではわからない、今の東北を自分の目で見てみようと、
宮城県は石巻市に向かいました。
■廃校が“持続可能な社会を体験する学びの場”に
到着した先は、宮城県石巻市雄勝町にある「MORIUMIUS(モリウミアス)」という施設。
モリウミアスとは、農業や漁業などの第一次産業に携わる人々との交流などを通して
自然の循環を学び、サステナブルに生きる力を身につけることができる、
“こどものための”複合体験施設です。
モリウミアスの元々の躯体は、旧・雄勝町立桑浜小学校です。2001年度に閉校になった後、
しばらく人の手が入らずに荒れてしまったようですが、東日本大震災後、被災地支援に訪れた公益社団法人「sweet treat 311」(現:公益社団法人MORIUMIUS)のメンバーが
偶然この校舎と出合い、譲り受けました。
そして、2012年から延べ5,000人を超すボランティアや企業、団体、地元の方々の
手によって、2015年7月に「モリウミアス」として蘇りました。
http://moriumius.jp/
また昨年1月には、大人たちのための協働宿泊施設
「MORIUMIUS annex(モリウミアスアネックス)」もオープンしました。
異業種のビジネスパーソンが共同で宿泊・研修することが可能で、
次世代リーダーの育成の場としても活用されています。
http://moriumius.jp/annex/
※当社とモリウミアスとの詳しい関わりは、こちらのブログをご覧ください。
https://blog.ssu.co.jp/2015/07/30/2300/
■「海からいただいたものが、海へ帰って行っただけ」
到着すると、自身もモリウミアスの設立に深く関わり、
今は同施設のフィールドディレクターを務める油井元太郎さんが出迎えてくれました。
(こちらの油井さん、キッザニア東京の創設にも携わっていた方なんですよ)
日中は、しいたけ栽培に向けた原木の切り出しや、自家製味噌の仕込み作業、
こども達の学び場である山の整備などを体験しました。
味噌の仕込み作業は朝4時から大豆を煮るところからスタート…。
都会では味わえない体験ですね(笑)。
夜は、雄勝で獲れた魚介類を食べながら
プログラム参加者全員で食事!季節柄、牡蠣と鮭が非常に美味しかった!
そして、食事を終えた後、油井さんが静かな口調で話し始めました。
「震災が起きて、家や船を流されてしまった漁師の方々が、ふさぎ込んでいた時期がありました。そんな時、雄勝に90年以上住んでいるおばあちゃんが、こんなことを言ったんです。
『家や船は、元をたどれば海からいただいた恵みで買ったもの。津波で家や船が流されたとしても、それは海からいただいたものが、ただ海へ帰って行っただけのこと』」
■「森」と「海」から学んだ子どもたちが大人になる頃には
90歳のおばあちゃんの言葉で、漁師の方々は復興に向けて立ち上がったそうです。
石巻で触れ合った方々は、誰もが何かしらを「乗り越えた/乗り越えようとしている」経験があるのだと思います。
自分の力ではどうにもならない現実を受け止め、受け入れ、そしてまた明日を向いて進んでいく。言葉にすると軽くなってしまいますが、石巻の方々の柔和な顔に、確かな“強さ”を僕は感じました。
高齢化が進み、いわゆる限界集落とも言える石巻市雄勝町のような町は、
今後全国各地に増えていくでしょう。限られた資源の中で生活を紡いできた雄勝町は、
いわば日本の縮図であり、“未来の日本”の姿なのかも知れません。
「森・海・明日と私たち」という意味が込められたモリウミアス。
ここから巣立った子どもたちが、20年30年後に大人になった時に
作り出すであろう、新しい「明日」が楽しみです。
明日は3月11日。
静かに、7年前のことを思い出してみようと思います。